Archive for 12月, 2011

2012年の活動予定

■CANTUS ANIMAE 2012年活動予定
2月8日(水)団内ソロコンサート(団内イベントのため非公開)

3月18日(日)音楽都市こおりやま全国合唱祭@郡山市民文化センター

8月11日(土) The 16th CONCERT@杉並公会堂

9月17日(祝・月) コンクール都大会@文京シビックホール

11月25日 (日)合唱コンクール全国大会@富山市芸術文化ホール・オーバードホール

※2011年12月31日時点の情報です。

 

演奏会に関しての”つぶやき”をお待ちしています!!

管理人です。

いよいよ、第15回演奏会が明日に迫ってまいりました。
期待に応えられるよう中の人たちは水木と集中練習に励んでおります。

さて、
演奏会前の期待ツィートや終演後の感想ツィート、応援メッセージ、曲への思い入れなどなど
みんなでワイワイと共有したら楽しいんじゃないか?
ということで、
今回の演奏会におけるtwitterのハッシュタグを以下に決めました。

#CA15th

 

上記文字列をツィートの中に入れてもらうと
サイドバーのCA15th TWEETSボックスの中にも表示されます。
また、twitterからも簡単に検索が可能です。

 

公式アカウントや団員も合間合間に呟くかもしれません。
皆様からのたくさんの”つぶやき”をお待ちしております!!

合唱初心者のための「五つの童画」~その6~

五つの童画の解説シリーズ 最終回です。

今回は、今までのシリーズを読んでいただいて、十分に内容を理解していただいた方に向けて、
しっかりとした解説を書かせていただきますー!

一応、今までの解説(第4回の解釈を除く)には、それぞれ裏付けがあるのですが、
難しいことは、とりあえず書かない、という前提で、このシリーズを進めてきましたので、
最終回はそのまとめとして、詳しい情報を記載したいと思います!

1)作曲の三善晃先生の経歴
作曲家である三善晃氏は、1933年生まれ。3歳より自由学園生活団で伊勢茉莉子氏、羽仁もと子氏にピアノの指導を受け、4歳で平井康三郎氏に師事、本格的に作曲とピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。太平洋戦争をはさみ一時中断後、1947年14歳で、平井氏の元で勉強を再開。三善氏が幼少時に平井氏から学んだのはドイツ学派の音楽である。
1951年東京大学教養学部文科二類に入学後、翌52年19歳で、レイモン・ガロワ・モンブランに師事。53年にブランス文学科に移り、その年に「トリオ・ソナタ」で第22回音楽コンクール作曲部門1位受賞、54年に毎日音楽特別賞、第三回尾高賞、芸術祭奨励賞を受賞し注目を集める。55年~57年にフランス給費留学生としてパリ国立音楽院に留学。アンリ・シャランのクラスに入る一方、モンブランに個人的に学ぶ。57年11月帰国。

2)留学後の三善晃先生の作曲技法
「3年間の留学中に学んだことはただ一つである」と語っている。「当たり前のことだが、自分は(日本から見ての)外国人ではない、ということだった。」と。
自分の「音」は西洋にはない、と感じたという三善氏は、留学後、日本の作品を研究し、陽旋法、陰旋法(庶民が使った日本音楽の古典的な音律。中国から来たもの)、呂と律(邪楽など神聖な場で使われた日本の古典的な音律、同じく中国由来)を学んだり、フランスで学んだようなカデンツに帰ろうと思ったり、十二技法をこっそりやったりしていたのだそうだ。三善氏いわく「フラフラしていた」のだという。1965年のヴァイオリン協奏曲、1967年弦楽四重奏第二番あたりで、ロマン的なものを決証しようとした、とも書いている。

3)五つの童画に見る三善作品の特徴
「五つの童画」は、1968年、三善氏35歳の時の作品である。第23回芸術祭奨励賞を受賞した作品だが、三善作品が大きく変化を遂げていくまさに過渡期の作品といえる。
「(西欧との)遠いとか距離が、かえって一つの可能性でもある」という著書の中の言葉でも表されているように、西欧の音楽的伝統から自由であることを強みに、日本語の響きと呼吸を使って、三善晃氏独特の遠近感のある音が見事に描き出されている。曲のあちこちにちりばめられた変拍子は、日本語独特の「間」を生き生きと表し、ピアノの音も日本語のイントネーションをまねる。同時に、巧妙に仕組まれ繰り返され展開する動機は、数学的な美しさも持って和音の中に溶ける名曲である。

4)作詩の高田敏子先生の経歴
作詞の高田敏子氏(1916―1989年)は、1960年より朝日新聞に「月曜の詩」を連載し、広く一般に知られるようになり、本作以前にも1962年に混声合唱曲「嫁ぐ娘に」で、三善氏と共作している。
「野火の会」を1966年より主宰、1967年詩集「藤」で第7回室生犀星賞受賞。詩人として脂の乗ってきたこの時期に詩作が開始されたのが「五つの童画」である。

5)詩と曲の関係
1970年の演奏会パンフレットで三善氏は、「高田さんの心の優しさの高みに自分の小さい情感をとどかせるためには、私は、一度は「ものたちのむなしい場所を通らねばならなかった。詩句は、それで、ほとんどが、その屈曲したあたりに置かれたけれども、私は、そうして、やっと、人への確かな信や愛にたどりついたと思います。」」と寄稿している。
はっきりといえば、詩だけを読んで、そこに愛を読み解くのは難しい作品であるが、実際の曲では、確かに三善晃という作曲家の目を通した「愛」の世界が描かれている。
三善氏は他人の詩に曲をつける時の作業をこう語る。「言葉は一つひとつではなくて、それが組み込まれた文になり、行になる。そうすると『その行の中でこの言葉、この位置。それはどうしてか』ということがいつもある。言葉を入れ替えたりすれば、行も変わる。ですから、ある意味『半ば自分であり、半ば相手の詩人である』というような関係が詩との間にできるのです。」と。
前半から4曲に対比し、最後に置かれた5曲目「どんぐりのコマ」で三善氏の目は、絶望の淵にも、愛と希望、救いをその結びに置くことを選んでいる。
この「五つの童画」は、作詞家高田敏子の作品であると同時に作曲家三善晃に昇華された言葉と曲が不可分な「愛の歌」といえるだろう。

6)演奏家から見た「五つの童画」
演奏家からみた三善氏の作品の魅力は、演奏家に無限の可能性の余白を残している点である。確かに、譜面には細かな表情記号は書き込まれているのに、音楽を押しつけて来ない。
三善氏は、西欧と日本の違いを著書の中でこう述べている–「西欧の場合は『表現する側』が『風とはこういうものだ』と決めてしまう。一方、日本人は決めないで『周りに合わせて一緒に聴こう』とする癖があるんじゃないかな。(中略)日本人は聴く人と一緒になって、この谷川の風の音を一緒に聞こう、竹のしなう音を一緒に聞こうとする。決めないで『耳まかせ』『聴く人』まかせというか、『自分もその一人になる』というようなところがある。」–三善氏の作品の難しさは、そういう意味でも、日本的なのかもしれないと感じる。これが、演奏家にとっての難しさと魅力であるの所以ではないだろうか。
たくさんの手掛かりを残して私たちを自由にさせ、そして不安にさせる。手ごたえのある演奏をしたとしてもなお、別の音楽の形があったのでは?と思わせる。だからこそ、私たちは、何度も何度も、この曲を取りあげている。経験を積むごとに新しい発見があるのがこの作品である。作曲から四十数年を経てなおも輝き続けるこの曲の秘密がそこにある。

本シリーズの参考文献
・三善晃 著「遠方より無へ」白水社(1979初版・2002年再版)
・三善晃・丘山万里子 著「波のあわいに 見えないものをめぐる対話」春秋社(2004年)
・東京混声合唱団 第59回東混定期演奏会パンフレット (1970.10.26)
・三善晃 著「三善晃作品集1(解説)」 ビクター
・高田敏子 著「日本現代詩文庫106 高田敏子詩集」土曜美術出版販売(2001年)
・高田敏子 著「娘に伝えたいこと」大和書房(1972年)

以上、本シリーズ解説 文責 Sop.芳賀麻誉美

合唱初心者のための「五つの童画」~解説その5~

今回は、合唱初心者のための・・・と書きつつも、落穂ひろい的、完全、マニア予備軍のための解説です(笑)。

合唱組曲「五つの童画」
作曲:三善晃 作詩:高田敏子

もっと楽しむための(マニアの)ポイント

1.詩の解釈についての補足事項
演奏会のパンフレットに掲載される予定が、現段階ではわかりませんが、
高田敏子さんのこの「五つの童画」の詩には、高田敏子さん自身による(訳詩ではない)英語の詩がついています。

楽譜の最後に、それは掲載されているのですが、
韻を踏んだ、きちんとした英詩で、音律的に美しいのです。
たとえば、1曲目の「風見鳥」下記の部分
————–
あっちだよ
あっちむき
こっちだよ
こっちむき
————–
英詩だとこうなります。
————–
“Turn that way.”
He turns that way.
“Turn this way.”
He turns this way.
————–

こんな具合です。
英詩は英詩で、とても味がある仕上がりになっています。

また、この詩、日本語では「そのくらいはわかるよね?日本人だもん」って感じに、
解釈をゆだねられちゃっている部分も、はっきり意味が書かれているので、
内容理解の手助けにもなります。

たとえば、3曲目「やじろべえ」
—————–
影はできたが
影ばかり
やじろべえはいない
影ばかりのやじろべえ

やじろべえはいないのです
・・・
—————-
この部分の英詩は、
—————-
The shadow is born-
Nothing but the shadow-
Yajiro-be is gone.
Notheing remains but his shadow.

Yajiro-be is lost
—————–

同じ、「いない」という単語も、英語の場合、使い分けているんですよね。

gone のあとに、lostと来ると、ああ、もしかして死んじゃったのかな?とか。
両方、同じにしないあたりのセンスも、強く感じます。さすが~、ポイントですよね。

同様に、ピリオドじゃなくて、-になっているあたり、この後に、どんな文章が続くんだろう?と思わせる。
それとも、余韻?・・・

5曲目「どんぐりのコマ」
これには、とにかく、たくさん「!」が使われています。

——————-
いちばん大きなどんぐり行け

Biggest acorn, go!
——————-
こんな具合です。
命令形で、Go! the biggest acornじゃないのね?とか。

Biggest acorn, と、カンマで呼びかけといて、「go!」かあ、とか。

また、この曲に限らずなんですが、引用符の位置も、すごく大事なんです。
ここは、会話か~、とか。

段落を1段落としてある部分などに注目するなどすると、とても面白かったりします。

え~・・・だんだんと、団員向けの啓蒙Blogになってきたところで、
次回に続きます。

(次回で、五つの童画は終了し、1st「天使の構図」に続きます!!」)

文責:芳賀

合唱初心者のための「五つの童画」~解説その4~

好調に更新を続けている合唱初心者のためのシリーズ、
第4弾です!

前回までで、重要ポイント3つをご紹介し終わりましたので、
第4回目の今回、簡単な曲の内容の解説に入っていきたいと思います。

通常、曲の内容説明は、一番最初に行うのかもしれませんが、
これを後回しにした理由は、、、そう、もうお分かりですね?
前回書きました通り、この「五つの童画」の詩の解釈を単独でやることは
あまりお勧めしないからです。
曲の中で味わってなんぼ、できれば楽譜を見ながら、というのがお勧めの方法で
それと並行して、詩のみを味わうのがいいのではないかと思います。

しかし、初心者のための、と書いておきながら、内容解説を飛ばすわけにはいきません。
一番いいのは、詩をまずは載せて、読んでいただいてから、という方法がいいのですが、
著作権の関係もあって、それはできません。

あくまでも、ざっとどんな内容かをわかっていただき、興味を持っていただける程度に、内容をご紹介したいと思います。

———————-
・1曲目「風見鳥」
あっちだよ、こっちだよ、と、風の言うままになんでも見てしまった風見鳥は死んでしまいます。
なんでも知っていて、なんでも見ていたはずの風見鳥は、あらしに負けて落っこちますが、風見鳥には目も口もなかった。そんな悲喜劇が描かれています。

風見鳥がみていた風景の描写部分
「裏山の猪が子を産んだ 十二匹 畠の子いもが盗まれた 十一個 十二匹目のうりっ子が ころんでけがして死んだ」
こういった描写にも残酷さが複線的に仕組まれています。
———————-
・2曲目「ほら貝の笛」
人や海にその声をとどろかせていたほら貝も、今は忘れられ、海にも帰れず、そして、ただ、コオロギがその中で泣いているだけという無情をうたっています。

ほら貝とは、果たして何?そして誰?もしかしてあなた?それは私?
———————-
・3曲目「やじろべえ」
やじろべえはやじろべえ、いつまでたってもやじろべえはやじろべえ。でも、よく見てみると、そこにいたはずのやじろべえは、影になって、そしていなくなっています。

どんなに願っても変わることができない、そして、よく見れば、実体すらない影で、そして、消えていくのが私たち人間ではないか、と考えさせられる詩です。
———————-
・4曲目「砂時計」
私たちの記憶の断片、砂時計の落ちる砂のように、悲しい「時」も、楽しい「時」も、すべてばらばらとなって、見えなくなり、手の届かないどこかで銀色の魚となって泳ぎまわる。しかし、その魚はだれも釣れないのだと語ります。

三善先生は著書の中でも、高田敏子さんは、銀色の魚は誰も釣れないと書いてくださった・・・と、触れていらっしゃいますので、内容について、とてもひかれるもののあった作品なのかもしれません。(←あくまで推測ですが。)
記憶、時間、といったものと銀色の魚のイメージの表現は、高田敏子さんでなければできない、とても印象的なものだと思います。
———————-
・5曲目「どんぐりのコマ」
詩だけを読めば、少しのアイロニーがあります。たくさんの樫の実達。大きな樫の実も小さな樫の実も、みんな樫の木になりたいと言って飛びおりていきます。でも、樫の実の頭は、神様がちょっとつまんでとがらせた。だから子供たちはコマにして遊びます。運命を知らない樫の実達、それでも、力いっぱい「樫の木になりたい」といって、飛びおりていくのです。

曲については、前回、書いたとおり、ちょっとした言葉の使い方と曲の作り方で、大きく意味を変えて取ることができます。
胸に希望を持って「みんな」で飛びおりていくどんぐりたち。大きいものも小さいものも、落ち葉や、雲と風、子供たちと一緒に「みんな」でまわるという最後のシーンには、希望と救いが描かれています。
———————-

何度も言いますが、実際の詩を読み、曲を聴き、その中で個々人が感じるのが一番ですし、
解釈に正しい答えはありませんので、ふーん、と読み捨てていただいてかまいません。
そのあたり、ご理解いただければ幸いです!
(答えは、みなさんお一人おひとりが胸に感じればいいものだと思います。。。)

さああ、ますます、CAの演奏会に行って聞きたくなったところで、次回につづく、です。

(文責)芳賀

合唱初心者のための「五つの童画」~解説その3~

「合唱初心者」のための・・・???これが?と
つぶやきをいただいている、当企画、第三弾です!!

・・・あくまで、「うっかりCAの演奏会を聴きに来ちゃおうかと思ったり、
わざわざCAのblogを読んじゃおうかな?と考えちゃうよな『初心者』さま用の記事です。
どうぞ、よろしく!

さて、
合唱組曲「五つの童画」
作曲:三善晃 作詩:高田敏子

この作品を楽しむためのポイント3つ目です。

<高田敏子さんの詩と三善先生の曲作りについて>

「五つの童画」。童画というのだから子供向け?と思う人も多いでしょう。
しかし、この作品で子供に語らせている風景は、とても残酷な悲劇・悲喜劇が五つです。

でも、合唱作品になったとき、その形は変わるので注意しましょう。
1曲目から4曲目の4つの悲しみやあきらめ、絶望に対して、5曲目には希望が詰まっているのです。
そこには、ちょっとした秘密があります。
合唱なので、もちろん、全部の歌詞を全部のパートが歌うことはないですし、掛け合いで、一部分ずつ各パートが請け負ったり、何度も繰り返したりはするのですが、
1曲目から4曲目の語順はほぼ、元の詩の語順どおりになっているのに対し5曲目は違う作りになっています。
ここが、とっても重要ポイント!です。
いったん、言葉をバラバラにして、そして、他の4つよりも詩に自由に作曲されていることがわかります。

5曲目曲の最後は「まわれ 雲と風 子供 輪になって まわれ 樫の実 輪になって まわれ まわれ まわれ 輪になって まわれ」
元の詩の順番とは、全く違うのです。
三善先生は、あえて詩の語順を入れ替えて使って、絶望の曲を、希望と救いの曲に仕立て直しているのです。

「五つの童画」は、作曲家三善晃の目を通して、作詩家高田敏子の作品が、合唱音楽として違う作品に生まれ変わっていることが、
本当に大事な大事な点なのです。
ですから、もし、ご自身でこの曲を歌うときにも、「詩の解釈」は単独でやらない方がよい、と思います。
詩と曲が不可分にからみあっているところが、この作品が面白くて難し点なのです。

ですから、演奏会当日は、パンフレットに書かれた詩は、さっと目を通す程度にとどめておきましょう。
絶対ダメなのは、演奏聴きながら、パンフレットの詩を見て、どれどれ、どんな詩かな?っていうもの。
これだけは、絶対にやめた方が、本当の意味でこの曲を楽しめると思いますよ。

「曲を聴きながら、日本語を味わう」のが、この曲の醍醐味といえましょう。

合唱マニア予備軍のための・・・が正しい名称という話も、ますます真実味を帯びてきたところで、
次回につづきます!

(文責)Sop.芳賀

合唱初心者のための「五つの童画」~解説その2~

こんにちわ!Sop.の芳賀です。

某AltのKぼっちさんから
十分マニアックな企画になりそう・・・とつぶやきをいただいた
「合唱初心者のための解説シリーズ」第二弾です(笑)!

合唱組曲「五つの童画」
作曲:三善晃 作詩:高田敏子

今日は、
第15回演奏会で初めてこの曲を聴くみなさんも「これを知っていると楽しめる!」という2つの目のポイントを解説しまーす!

<言葉とリズム、メロディーについて>
これを語らずに、何を語らんや!というほど重大ポイントです!!

三善先生は、日本語の語感にとっても敏感でいらっしゃいます。
理由は、小さいときに病気になり、毎日母親がたくさんの本を読み聞かせしてくれたからじゃないか、と、著書で語っています。
そして、20代でフランスに留学した時に、音楽は母国語と切り離せないと強く感じた、というだけあり、
五つの童画の中で、三善先生の書かれた音楽のリズムやメロディーは(ピアノパートすらも)日本語の語感と響きにぴったりと寄り添ったものになっています。

たとえば、1曲目「風が耳うちしにおりてきた」って部分を見てみましょう。
これを話すとき、日本人なら、自然に「耳うち」の部分は早く話す。「かーぜーがーみーみーうーちー」と、同じ長さ同じ強さで話す人はいませんよね?
ごくごく自然に、「風が、(てん・・・これが大事!)耳打ち」も、「タンタンタ(ン)タタタタ)というリズムになります。
「あっちだよ こっちだよ」という部分もそうです。日本語が母国語の私たちは、自然に言葉の間を取るし、子供なら「あっちだ「よぉー」」と自然に伸ばす。そういう語り口が強く生かされているんです。リズムは「タンタタターン」で、小さい「っ」や、子供が「よー」って伸ばすさまが表現されています。

5曲目の「もういいかい もういいよ」や「どんぐり」という言葉も同じなのですが、しかし、こちらは、もっと音楽的に重要な役割を持っています。
すこしずつ音形を変えながら、繰り返されて効果が発揮されるように置かれているのです。
聴きどころとしては、何よりまずは、女声がアカペラではいる最初の「どんぐりのあたまは なぜとがっている~」という部分です。
自然なそのメロディーが、その後の部分で、どんな風に変わりながら力強く変化していくか、楽しみに聞いてください!
(音楽的には動機の展開と言ったりします。これが、すごく巧みなんです!)

変拍子が沢山出てくるのも、日本語のリズム、間を尊重したからです。
たとえば、2曲目で使われる語、「ほら貝」。
「ほら貝は」と語れば、5拍子になるのは自然ですよね。
奇数拍子が組み合わされているのは、メロディー的、音楽的な面白さ、というよりも、
自然な日本語の語感が基本にあるのが、この作品の特徴なんです。

だから、もし、演奏を聴いていてぎこちなく聞こえるところがあるなら、それは合唱(歌)だけじゃなく、あまり日本語が上手くないからということになってしまいます。。。

う~ん
果たして、CAの演奏は如何に?

(つづく)

合唱初心者のための「五つの童画」~解説その1~ 

みなさま、はじめまして。
CANTUS ANIMAEの左脳担当(!?)、Sop.芳賀です!

第15回演奏会を楽しんでいただくために、今日から演奏会までの間、
演目の解説を連載したいと思います~!

というのも、CAの演奏会のパンフレットの解説って実はとってもマニアックなんです(^_^;)
「ちょっとついていけない~・・・」という中高校生、合唱初心者さまに向けての情報発信も大事よねっ?
ってことで、企画いたしました。

第一弾は、メインステージ3st
作曲:三善晃 作詩:高田敏子
「五つの童画」

まずは、「これを知っているともっと楽しめる五つの童画3つのポイント」
その1です。

<ピアノと合唱の関係について>
作曲の三善晃先生は、ピアノの名手です。ピアノ曲を沢山書いているだけではなく、三善メソッドというピアノの教え方まで考えてしまったくらい!です。
そして、器楽曲やシンフォニーもたくさん書いている作曲家で、いわゆる「合唱専門の作曲家」ではありません。
だから、ピアノの使い方が他の作曲家とは大きく違います。実は、この時代に三善氏の合唱作品が出てくるまでのピアノの役割は「伴奏」が多かったのです。合唱を補佐役ですね。
そういう曲は、実際に演奏するときも、ピアノが大きくなりすぎないように、遠慮がちにほんのちょっとフタをあけて、舞台の端の方で演奏されます。
でも、「五つの童画」の中のピアノは、合唱と同じ1つのパートとして、対等もしくはそれ以上の役割を持っています。
だから、ピアノは堂々と舞台の真ん中で、がばりと大きくフタをあけて演奏されるのです。

もちろん、今回の演奏会も同じく、どどーんと、真ん中にピアノが来きます。
合唱団の真ん中あたりに立つ人は、フタのせいで指揮が見えづらいし、お客さんの顔も見えなくなってしまうのだけど、それにはこういう理由があるのです。

「五つの童画」は、合唱だけではなく、ピアノそれ自身が歌う部分や、ピアノと合唱の掛け合いが聴きどころってことになります。

———
今回のピアノの平林知子先生は、好き放題に歌いまくりなCA団員の心の拠り所的存在です。
時に激しく、時にやさしく、合唱と対峙したり、寄り添ったり、いつも素晴らしいピアノを聞かせてくれます。
特に、メロウな音が素敵なんですよねえ。。。平林先生のピアノは。
合唱とピアノの激しくも切なく悲しく、そして明るく、楽しい「五つの童画」の世界を、しっかりお届けできるように、がんばります!

(つづく)