合唱初心者のための「五つの童画」~その6~

五つの童画の解説シリーズ 最終回です。

今回は、今までのシリーズを読んでいただいて、十分に内容を理解していただいた方に向けて、
しっかりとした解説を書かせていただきますー!

一応、今までの解説(第4回の解釈を除く)には、それぞれ裏付けがあるのですが、
難しいことは、とりあえず書かない、という前提で、このシリーズを進めてきましたので、
最終回はそのまとめとして、詳しい情報を記載したいと思います!

1)作曲の三善晃先生の経歴
作曲家である三善晃氏は、1933年生まれ。3歳より自由学園生活団で伊勢茉莉子氏、羽仁もと子氏にピアノの指導を受け、4歳で平井康三郎氏に師事、本格的に作曲とピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。太平洋戦争をはさみ一時中断後、1947年14歳で、平井氏の元で勉強を再開。三善氏が幼少時に平井氏から学んだのはドイツ学派の音楽である。
1951年東京大学教養学部文科二類に入学後、翌52年19歳で、レイモン・ガロワ・モンブランに師事。53年にブランス文学科に移り、その年に「トリオ・ソナタ」で第22回音楽コンクール作曲部門1位受賞、54年に毎日音楽特別賞、第三回尾高賞、芸術祭奨励賞を受賞し注目を集める。55年~57年にフランス給費留学生としてパリ国立音楽院に留学。アンリ・シャランのクラスに入る一方、モンブランに個人的に学ぶ。57年11月帰国。

2)留学後の三善晃先生の作曲技法
「3年間の留学中に学んだことはただ一つである」と語っている。「当たり前のことだが、自分は(日本から見ての)外国人ではない、ということだった。」と。
自分の「音」は西洋にはない、と感じたという三善氏は、留学後、日本の作品を研究し、陽旋法、陰旋法(庶民が使った日本音楽の古典的な音律。中国から来たもの)、呂と律(邪楽など神聖な場で使われた日本の古典的な音律、同じく中国由来)を学んだり、フランスで学んだようなカデンツに帰ろうと思ったり、十二技法をこっそりやったりしていたのだそうだ。三善氏いわく「フラフラしていた」のだという。1965年のヴァイオリン協奏曲、1967年弦楽四重奏第二番あたりで、ロマン的なものを決証しようとした、とも書いている。

3)五つの童画に見る三善作品の特徴
「五つの童画」は、1968年、三善氏35歳の時の作品である。第23回芸術祭奨励賞を受賞した作品だが、三善作品が大きく変化を遂げていくまさに過渡期の作品といえる。
「(西欧との)遠いとか距離が、かえって一つの可能性でもある」という著書の中の言葉でも表されているように、西欧の音楽的伝統から自由であることを強みに、日本語の響きと呼吸を使って、三善晃氏独特の遠近感のある音が見事に描き出されている。曲のあちこちにちりばめられた変拍子は、日本語独特の「間」を生き生きと表し、ピアノの音も日本語のイントネーションをまねる。同時に、巧妙に仕組まれ繰り返され展開する動機は、数学的な美しさも持って和音の中に溶ける名曲である。

4)作詩の高田敏子先生の経歴
作詞の高田敏子氏(1916―1989年)は、1960年より朝日新聞に「月曜の詩」を連載し、広く一般に知られるようになり、本作以前にも1962年に混声合唱曲「嫁ぐ娘に」で、三善氏と共作している。
「野火の会」を1966年より主宰、1967年詩集「藤」で第7回室生犀星賞受賞。詩人として脂の乗ってきたこの時期に詩作が開始されたのが「五つの童画」である。

5)詩と曲の関係
1970年の演奏会パンフレットで三善氏は、「高田さんの心の優しさの高みに自分の小さい情感をとどかせるためには、私は、一度は「ものたちのむなしい場所を通らねばならなかった。詩句は、それで、ほとんどが、その屈曲したあたりに置かれたけれども、私は、そうして、やっと、人への確かな信や愛にたどりついたと思います。」」と寄稿している。
はっきりといえば、詩だけを読んで、そこに愛を読み解くのは難しい作品であるが、実際の曲では、確かに三善晃という作曲家の目を通した「愛」の世界が描かれている。
三善氏は他人の詩に曲をつける時の作業をこう語る。「言葉は一つひとつではなくて、それが組み込まれた文になり、行になる。そうすると『その行の中でこの言葉、この位置。それはどうしてか』ということがいつもある。言葉を入れ替えたりすれば、行も変わる。ですから、ある意味『半ば自分であり、半ば相手の詩人である』というような関係が詩との間にできるのです。」と。
前半から4曲に対比し、最後に置かれた5曲目「どんぐりのコマ」で三善氏の目は、絶望の淵にも、愛と希望、救いをその結びに置くことを選んでいる。
この「五つの童画」は、作詞家高田敏子の作品であると同時に作曲家三善晃に昇華された言葉と曲が不可分な「愛の歌」といえるだろう。

6)演奏家から見た「五つの童画」
演奏家からみた三善氏の作品の魅力は、演奏家に無限の可能性の余白を残している点である。確かに、譜面には細かな表情記号は書き込まれているのに、音楽を押しつけて来ない。
三善氏は、西欧と日本の違いを著書の中でこう述べている–「西欧の場合は『表現する側』が『風とはこういうものだ』と決めてしまう。一方、日本人は決めないで『周りに合わせて一緒に聴こう』とする癖があるんじゃないかな。(中略)日本人は聴く人と一緒になって、この谷川の風の音を一緒に聞こう、竹のしなう音を一緒に聞こうとする。決めないで『耳まかせ』『聴く人』まかせというか、『自分もその一人になる』というようなところがある。」–三善氏の作品の難しさは、そういう意味でも、日本的なのかもしれないと感じる。これが、演奏家にとっての難しさと魅力であるの所以ではないだろうか。
たくさんの手掛かりを残して私たちを自由にさせ、そして不安にさせる。手ごたえのある演奏をしたとしてもなお、別の音楽の形があったのでは?と思わせる。だからこそ、私たちは、何度も何度も、この曲を取りあげている。経験を積むごとに新しい発見があるのがこの作品である。作曲から四十数年を経てなおも輝き続けるこの曲の秘密がそこにある。

本シリーズの参考文献
・三善晃 著「遠方より無へ」白水社(1979初版・2002年再版)
・三善晃・丘山万里子 著「波のあわいに 見えないものをめぐる対話」春秋社(2004年)
・東京混声合唱団 第59回東混定期演奏会パンフレット (1970.10.26)
・三善晃 著「三善晃作品集1(解説)」 ビクター
・高田敏子 著「日本現代詩文庫106 高田敏子詩集」土曜美術出版販売(2001年)
・高田敏子 著「娘に伝えたいこと」大和書房(1972年)

以上、本シリーズ解説 文責 Sop.芳賀麻誉美