CANTUS ANIMAEはどこへ行くのか

(注)
この文章は1999年2月に書かれたもので、現在の運営・関係者等とは異なる場合がございます。
変更箇所の数字を選択すると、画面下部の注釈へ移動します。注釈の↑部分を選択することで、ご閲覧いただいていた記事中に戻ることができます。

INDEX

  1. CANTUS ANIMAEはどこへ行くのか
  2. 私が考える理想の合唱団像とは……、
    そして、それに近づく為にCANTUS ANIMAEはどうあるべきか

1.CANTUS ANIMAEはどこへ行くのか

西洋音楽に根ざす合唱が日本で始められてから、約100年がたちました。その間に日本人の手による合唱曲も多く作曲され、また合唱連盟を中心にした合唱活動、また、いわゆるうたごえ運動と言われる形での活動、そして近年は、おかあさんコーラス(この呼び方に音楽的意味はありませんが)の社会現象的な活動の活発化、加えて年末の日本の風物詩となってしまったアマチュアによる第九の合唱等、日本人の生活の中にも、合唱が身近なものになりつつあります。
こうした状況下、アマチュアの合唱団も、数えきれないくらい存在し、それぞれが独自の活動方針を持って活動しています。そして、それはどれが正しいなどという次元の問題ではなく、そこに集う人々が想いを同じくして、ひとつのものを作りあげていくことこそが尊いことだと言えるでしょう。
すなわち、CANTUS ANIMAEも、ここに集った人々が想いをひとつにして音楽を作り上げていくことが重要ですし、またCANTUS ANIMAEは、こういう合唱団なのだという個性を持っていなければ、存在する意義がありません。
そこで、音楽監督そして指揮者として、CANTUS ANIMAEにどのような個性を持たせたいと考えているかを、お話したいと思います。

  • 第1の個性
    まず、それは合唱団の成り立ちにあります。この合唱団は、 1)昨年とは、1998年のことで、この文章は1999年2月に書かれたものです。
    1998年5月、仙台のワークショップで雨森先生と出会ったメンバー(結果としてCAの発起人となりました)は、帰京した後、なんとかもう一度雨森先生の指揮で歌うことは出来ないかと知恵を絞り、翌年2月の東京都合唱連盟主催のボーカルアンサンブルコンテスト(TVEC)に出ることを思いつきます。雨森先生も月に1回くらいは上京するらしい、それならそのついでに練習を見てもらって、TVECにでよう!というわけです。
    つまり、当初はTVECに出るだけの企画合唱団だったわけですね。
    自主練習1回と、先生の練習が1回、月2回の練習でTVECまでこぎ着けた時、メンバーたちに欲が出ました。
    「TVECで終わりなの? これからも、ずっと、続けない?」
    そこで、1999年2月、CANTUS ANIMAEは正式に恒常的活動を続ける合唱団として再出発します。
    「CANTUS ANIMAEはどこへ行く」は、その際に団の指針として先生が書かれたものです。
    昨年
    仙台で行われたコーラスワークショップで知り合った女性有志により、私の指揮で歌うことを目的に結成されました。こういう成り立ちは、私がかかわっている合唱団の中でも、珍しいことであり、当然、私自身も特別な想いを持って、CANTUS ANIMAEの結成に関わりました。
    そして、私はここで、自分が思い描いている理想の合唱団像を追い求めていくことが出来ると確信しています。
  • 第2の個性
    合唱音楽のレパートリーは、膨大です。中世から現在まで、約700年の間にそれこそ星の数ほどの曲が生み出されました。
    当然、すべてに精通することは不可能です。しかし知ろうとする努力は、命ある限り続けていきたい。なぜなら、それらを知ることこそが新しいものを生み出していく糧となるからです。私達は、演奏家であり、作曲家ではないので新しい作品を創り出すことは出来ません。しかし、演奏家なくしては、作品が音として世に出ないのも事実です。より良い演奏が作曲家を触発し、創作意欲を高めるということもあると思います。そして何より私達がこれから成さなければ ならないのは、日本の合唱音楽文化を世界へ問うていくということです。
    その為には、作品とそれを支えるすばらしい演奏が必要であり、また当然、私達は、その基礎となっている西洋合唱音楽の 本質を出来うる限り理解していなければならないのです。
    前置きが長くなりましたが、以上を実現していく為に可能な限り、深く広く音楽を勉強する合唱団でありたいと思います。「結局、それは広く浅くならざるを得ない。」という反論は承知の上で挑戦していく覚悟です。
  • 第3の個性
    聴き手との熱いやりとりのある、心から心へ響く音楽の出来る合唱団でありたい。また普段合唱を聞かない人、合唱に興味のなかった人も引き付ける演奏、すなわち普遍的な感動を内包した演奏の出来る合唱団になりたい。
    これは大変なことです。……しかし、これが出来なければ、合唱ファンは増えないし、また私達が活動する場も広がりません。(合唱が本当の意味で文化としての市民権を得る為には、歌い手だけでなく、聞いて楽しんでくれる人が必要なのは言うまでもありません。今の合唱界にはそういう意味でのサポーターはほとんど存在しません。)

2.私が考える理想の合唱団像とは……、そして、それに近づく為にCANTUS ANIMAEはどうあるべきか

(1)練習を大切にする合唱団でありたい
当り前のことのようですが、これには、深い意味があり、とても重要なことでもあります。
まず、練習というのは、音楽を創っていく過程です。そこで、まず歌い手自身が、その音楽に感動し、そして時には涙を流すくらいの熱い場が毎回あらねばなりません。そうした過程を経て創り出される音楽だからこそ、聴く人にも感動を伝えることが出来るのです。よく「本番はちゃんと歌う。」という言葉を耳にすることがありますが、そのような人のいる合唱団がいい音楽を出来るはずがありません。まず、練習に全力投球です。

(2)ひとりひとりが自分は、合唱団にとって必要な存在なのだという自覚と責任を持った人達の集まりでありたい
これも当り前のことのようですが、極めて重要なことです。合唱はチームプレーです。メンバーのひとりが欠けてもチームプレーは成り立ちません。またチームプレーの練習も出来ません。例えば、30人の合唱団で29人がいい音楽をしても、ひとりが違ったことをすれば、その音楽は台無しです。これは練習にも言えます。せっかくいい練習をしても、その日休んでいた人が次の練習で全く勝手な歌い方をすれば、みなで築き上げたものが、一瞬でこわれてしまいます。
ここで冒頭の言葉を思い出して下さい。
「自分は、合唱団にとって必要な存在なのだという自覚と責任」
アマチュアの集まりですから、どうしても仕事や家庭の都合で練習を休まざるを得ないこともあるでしょう。しかし、上記の想いがすべての人にあれば、休んだときのフォローのあり方が全く違ってくると思うのです。
例えば、練習をテープにとって、あとで自分で勉強するなど……。
これがなければ、少ない練習の中で、皆でひとつのものを創り上げることは出来ないし、指揮者も、毎回毎回同じことを言うばかりで、練習は(毎回まじめに来ている人には)退屈なものになり、合唱団の進歩は止まります。
これは指揮者の練習だけでなく、自主練習でも同じです。CANTUS ANIMAEは、2)TVECを目指していた1998年7月から1999年1月までは、雨森先生1回、自主練習1回の月2回の練習でした。
TVEC後、再出発するにあたり雨森先生の練習を1回増やして月3回としました。
この文章はその時書かれたものです。
しかし、この後1999年9月の合唱コンクール東京大会で代表になり、11月には第1回演奏会を経て全国大会へ進むにつれ、「本当に3回の練習でやりたいことが出来るのか…」という疑問が生じます。 1999年12月、とうとう練習回数を月4回に変更します。先生の練習と自主練習をフレキシブルに組み合わせ「月に4回練習する」。これは、私たちにとって大きな変革でした。
3回
の練習で可能な限り多くのことをしようとしています。よって、指揮者の練習日は、純粋に音楽創りをする時間である必要があります。その為に自主練習で、声の面、音程、言葉等、基礎的な部分について充分に練習されてある必要があります。(調理で言えば下ごしらえです。)そして、CANTUS ANIMAEには、 3)平鹿さんは創団時以来のアシスタントコンダクターです。平鹿さんという極めて優秀な指導者と、 雨宮さんという合唱に精通しているヴォイストレーナーがいます。この人たちが力を充分発揮出来るかどうかは、 みなさんの自主練習に対する想いにかかっています。
ここで再度、冒頭の言葉を思い出して下さい。
「ひとりひとりが自分は合唱団にとって必要な存在なのだという自覚と責任をもった人達の集まりでありたい。」

(3)「ひとりひとりが自分が表現しなければならない」という積極的な想いを持った人達の集まりでありたい
これは、(2)に通じます。よく、こういう言葉を耳にします。「私はひとりでは歌えないから、合唱をやっています。」とんでもない話です。ひとりで歌えない人が100人集まっても、いい音楽は出来ません。
ウィーンフィルのメンバーは、ソロもやれば、室内楽もやります。すなわち音楽に人数など関係ないのです。まず、ひとりでも表現出来なければなりません。
その為には、ひとりひとりの努力、頑張りが極めて重要となります。月3回の皆で行う練習だけでは、そのようなことは、出来るはずがありません。日々の努力なくして、道を極めることはできません。逆に皆がそういう想い(自分が歌わなければ)を持って努力している合唱団の演奏は、その一点に於いても感動的だと
思います。なぜなら、その演奏は自発的な表現意欲に満ち溢れているはずですから。これはただ、練習している曲を覚えるという意味でなく、声についての向上心、音楽に対する知識、そして感性を磨く努力等、すべてについてという意味です。)
さて、いよいよ、もっと具体的な話に入っていきます。

(4)声の面については、あらゆる音楽的要求に応えられる技術を持った合唱団を目指したい
例えば、全くのノンヴィブラートの天使のような声から、人間的深みのある声、器楽的な声、民族的な声……。すなわちあらゆるレパートリーに対応出来る技術の獲得を目指したい。これは前述、第2の個性(膨大なレパートリーを深く広くこなす)の為には、必須です。その為に、ヴォイストレーナーと共に終りなき努力を向上心を持って続けていかなければなりません。

(5)音律については、知識も含め、純正調、平均律、ピタゴラス調にとどまらず、独自のメソッド(ヒリアードアンサンブルが持っているような)を確立し、使いこなせる所まで目指したい

以上の技術的な面をクリアしていく為に、

(6)コンクール・演奏会など様々なことに、常に前向きに立ち向かっていく合唱団でありたい

また、

(7)委嘱活動も積極的に行って、新しい作品を世の中へ送り出していくこともしていきたい
(その中から、後世に残る曲が一曲でもあれば、演奏家冥利に尽きると言うものです。)

最後に

(8)そこに聴き手がひとりでもいれば、常に精一杯の演奏をする団体でありたい
よく「今日は合唱祭だから……、」とか言ってステージに勝手に軽重をつける人がいますが、言語道断です。謙虚な気持ちを失っては、人の心に伝わる音楽など出来ようはずがありません。いつでも、どこでも、だれの為にでも、常に100%の充実した心を持って演奏できる合唱団でありたい。
これは頭でわかっていても、実際にはそう出来ない人が9割以上だと思います。この境地に達することが出来た時、はじめて普遍的な感動を持った演奏が出来るような気がします。

以上、とても到達出来るものではないと思われる方もいるでしょうし、また不可能だと断言する人もいるでしょう。
しかし、私は、夢は見続けていたい。そして夢を追いかけている間は必ず、少しずつでも進歩していくと信じています。今世紀最大の合唱指揮者エリック・エリクソンは、ヨーロッパの合唱音楽の歴史というCDで、ルネサンスから近現代までの膨大なレパートリーへの挑戦をしています。しかし、自国(スウェーデン)の合唱音楽文化を世界へ問うところまでは行っていない(スウェーデンはヨーロッパの一部だからかも知れないけれども……)だったら、日本にそれ以上の所まで挑戦していこうとする無謀な合唱団があってもいいじゃないですか。

私と一緒に、一生夢を見続けていきませんか。

音楽監督 雨森文也

References   [ + ]

1. 昨年とは、1998年のことで、この文章は1999年2月に書かれたものです。
1998年5月、仙台のワークショップで雨森先生と出会ったメンバー(結果としてCAの発起人となりました)は、帰京した後、なんとかもう一度雨森先生の指揮で歌うことは出来ないかと知恵を絞り、翌年2月の東京都合唱連盟主催のボーカルアンサンブルコンテスト(TVEC)に出ることを思いつきます。雨森先生も月に1回くらいは上京するらしい、それならそのついでに練習を見てもらって、TVECにでよう!というわけです。
つまり、当初はTVECに出るだけの企画合唱団だったわけですね。
自主練習1回と、先生の練習が1回、月2回の練習でTVECまでこぎ着けた時、メンバーたちに欲が出ました。
「TVECで終わりなの? これからも、ずっと、続けない?」
そこで、1999年2月、CANTUS ANIMAEは正式に恒常的活動を続ける合唱団として再出発します。
「CANTUS ANIMAEはどこへ行く」は、その際に団の指針として先生が書かれたものです。
2. TVECを目指していた1998年7月から1999年1月までは、雨森先生1回、自主練習1回の月2回の練習でした。
TVEC後、再出発するにあたり雨森先生の練習を1回増やして月3回としました。
この文章はその時書かれたものです。
しかし、この後1999年9月の合唱コンクール東京大会で代表になり、11月には第1回演奏会を経て全国大会へ進むにつれ、「本当に3回の練習でやりたいことが出来るのか…」という疑問が生じます。 1999年12月、とうとう練習回数を月4回に変更します。先生の練習と自主練習をフレキシブルに組み合わせ「月に4回練習する」。これは、私たちにとって大きな変革でした。
3. 平鹿さんは創団時以来のアシスタントコンダクターです。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存