2014年を振り返る:Tokyo Cantat2014

こんにちは、入団8か月目にしてテナーからベースに移籍した鈴木Bです。

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※↑でカメラ目線の方ではなく、写真の右下に写っている人です。顔が見えないのはご愛嬌;;;

5月3日(土・祝)に開催された、Tokyo Cantat2014のコンサートの一つである、
シリーズⅠ「日本のコ・ト・バをうたう」 賢治さんに会いたい。~宮沢賢治の言葉と音楽~に出演しました。
Tokyo Cantat(以下:カンタート)は、1996年5月にその第1回が開催されました。
その際、私は片山みゆき先生に声を掛けていただき、公募男声合唱団のお手伝いをすることになりました。
指揮者がマッティ・ヒュエッキさん、練習指揮者が松原千振先生と藤井宏樹先生という何とも贅沢な企画でした。
当然ステージにも乗るつもりでいたのですが、本番1週間ほど前に突然激しい咳と痰と鼻水に襲われ、オンステを断念することとなりました。
そしてその後も、カンタートのステージを踏む機会は得られませんでした。
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CANTUS ANIMAE(以下:CA)は、第1回のカンタートの2年後に誕生しました。
当時同じ男声合唱団で歌っていた仲間から設立の噂を聞きつけた私は、どうしても雨森先生の指揮で歌いたいと思い、
仕事の関係でコンスタントな練習参加が容易でないことを承知で入団。案の定唯一参加できた行事は、
第4回(1999年)のカンタートでの「合唱団のための講習会」への参加のみでした。
そしてその翌年には名古屋に転勤となり、その後長らく合唱活動から遠ざかることとなりました。

このような経緯から、私にとってカンタートとCAは、常に大きな忘れ物のように、いつも心のどこかにひっかる存在でした。

2年前に合唱を再開し、合唱に深く入り込むに従い、もう一度CAで歌いたいとの思いが頭をもたげ、抑えきれなくなりました。
そして、今年の3月の入団希望の連絡をしました。入団の条件の1つは、練習に3回参加すること。
担当の方からご連絡いただいた練習曲は、西村朗氏の「永訣の朝」から2曲で、それをカンタートで歌うとのことでした。

この時私は、もしかしたら18年目にしてはじめてカンタートの舞台に立てるかもしれないとの想いを抱きました。
せっかちな私は東混のCD、CAのコンクールでのDVD、宮沢賢治の詩の解説書、朗読のDVD…手に入るものを片っ端から入手し、
聴きふけり、読みふけりました。まだ、入団も決まっていないというのに。

その後、4月30日の3回目の見学を経て晴れて入団が叶い、その3日後にすみだトリフォニーホールで初めてカンタートのステージに立ちました。
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2年前の全日本合唱コンクールでCAが「永訣の朝」を演奏した際、藤井先生が審査員をされていて、
是非カンタートの「宮沢賢治の言葉と音楽」をテーマとしたコンサートで演奏してほしいと、
声を掛けて下さったのがきっかけとのことでした。
、、
ところで、当日の、特にステージ上のことは実はよく覚えていません。とにかく入団が決まってから本番まで、
暗譜することしか頭になくて…。頭が真っ白なまま歌い終えたような気がします。こんな経験は初めてです。
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覚えているのは司会の竹下景子さんの素敵な声と愛らしい和服姿。
それと、同じ舞台で聴いたCoro Kallosの清潔な歌声。(見習いたい!)。
ほんの短い出演時間でしたが、この年1回の催しに心血を注いできたスタッフの想いの詰まった素晴らしいステージでした。
この価値ある営みを長年続けられてきた方々に敬意を表し、その営みに参加できたことに感謝せずにはいられません。

カンタートが生まれたときにお世話になった藤井先生が、カンタートとCAを結び付けてくださり、
その結果私がCA入団直後にカンタートの舞台に立てた。CAに入団してわずか8カ月の私ですが、
その間に様々な人の繋がりがCAの活動を支えていることを身に染みて感じてきました。初心者マークが取れる来年、
そんな繋がりの恩恵を受けるだけでなく、繋がりを作り出すことができるか?
挑戦の1年とすることを決意し、この1年を締めくくります。

Tokyo Cantat2014 賢治さんに会いたい~宮澤賢治の言葉と音楽~